こんにちは、『えすふぁみ☆家族で株投資』です。
金曜日は「株や投資の雑学」。
今回は、世界の金融市場の中心ともいえる ニューヨーク証券取引所(NYSE) が、**たった24人の“路上の約束”**から始まったという、ちょっとロマンのある歴史のお話です。
普段、私たちはスマホ一つで世界中の株を売買していますが、その裏側には200年以上にわたる「信頼づくり」の積み重ねがありました。
目次
1. 1792年、すべては一本の木の下から始まった
NYSEの起源は、1792年5月17日。
今から200年以上前、アメリカ・ニューヨークのウォール街にあった ボタンウッド(アメリカスズカケノキ) の木の下に、24人の証券ブローカーが集まりました。
彼らが交わしたのが、**「ボタンウッド協定(Buttonwood Agreement)」**です。
この協定の内容は、とてもシンプルでした。
信頼できる仲間同士で取引を行う
取引ルールを統一する
手数料を一律にする
当時のアメリカは、独立直後で金融市場も未成熟。
投機や不正が横行し、最初の金融パニックも経験していました。
だからこそ彼らは、「まずは信頼を作ろう」と考えたのです。
ロキ兄
2. コーヒーハウスが“取引所”だった時代
設立当初のNYSEには、立派な建物などありません。
ブローカーたちは、近くのコーヒーハウスに集まり、非公式に株や債券を売買していました。
ここで重要な役割を果たしたのが、初代財務長官 アレクサンダー・ハミルトン です。
彼は、独立戦争で生じた各州の負債を連邦政府が引き受ける政策を実行しました。
これにより、
国債の信用が高まる
資金がウォール街に集まる
金融の中心地としての地位が確立される
という流れが生まれました。
つまり、NYSEの成長は「国の信用づくり」とセットだったのです。
3. 「座席(シート)」という言葉の本当の意味
1817年、市場が拡大すると、ブローカーたちはついに正式な組織を作ります。
それが ニューヨーク証券取引委員会(New York Stock & Exchange Board)。
これが現在のNYSEの直接の前身です。
この頃から登場したのが、今でも使われる言葉──「座席(Seat)」。
当時の取引はとてもアナログでした。
議長が銘柄名を読み上げる
ブローカーは自分に割り当てられた椅子から売買を叫ぶ
つまり「座席を持つ=取引に参加する権利」を意味していたのです。
4. 技術革新が市場を一気に巨大化させた
19世紀後半、アメリカの産業革命とともにNYSEは急成長します。
ストックティッカーの登場(1867年)
株価情報が電信で全米に配信されるようになり、地方投資家も市場に参加できるようになりました。
電話の設置(1878年)
ブローカー間の連絡が一気に高速化し、取引効率が飛躍的に向上。
100万株突破(1886年)
1日の出来高が初めて100万株を超え、市場規模が桁違いに。
そして忘れてはいけないのが、あのベルです。
実は最初、取引開始・終了を知らせていたのは
**中国風の銅鑼(ゴング)**でした。
1903年、現在の建物に移転した際、
今の真鍮製ベルに置き換えられ、NYSEの象徴となりました。
5. 危機を乗り越え、“信頼の市場”へ
NYSEは順風満帆だったわけではありません。
1929年:世界恐慌
2001年:9.11同時多発テロ
2020年:新型コロナショック
それでもNYSEが生き残ってきた理由は明確です。
👉 「信頼を壊さなかった」
2006年には電子取引所Arcaと合併し、
人の判断×電子取引を組み合わせた
「High Tech, High Touch」モデルを構築。
完全自動化に振り切らず、
人の目と判断を残したことも、NYSEの特徴です。
まとめ|株式市場は「信用の物語」
ニューヨーク証券取引所の歴史を振り返ると、見えてくる本質があります。
株式市場は、最初から巨大だったわけではない
技術より先に「信頼」があった
危機のたびに、信頼を守る選択をしてきた
だからこそ、NYSEは
**「世界最大で、最も信頼される市場」**になったのです。
200年以上前、一本の木の下で交わされた約束。
その精神は、今も私たちの投資の土台に息づいています。

















